勉強の“我慢”が続かない子が
本当に増えたなと感じる今日この頃
一度スイッチが入っても
すぐに熱が冷めてしまう
本気になれる期間が
年々短くなっているように思う
ただ、これは子どもだけが悪いわけではない
そう思わせるだけの背景が
いまの社会には確かにある
いまの子どもたちは「待つ」経験が圧倒的に少ない
調べれば一秒で答えが出る
動画はスキップできる
退屈と向き合う時間そのものが生活から消えている
努力の前提にある“耐える”が
そもそも日常で育たない構造になってしまっている
だから本気が長続きしないのは
ある意味、当然なのかもしれない
とはいえだ
ここに理解は示すけれど
それを理由に「やらない」「できない」と言い張るのは
まったく別の話になる
環境がそうさせている面は事実としてある
でも、その構造を免罪符にしてしまえば
努力は永遠に始まらない
“社会のせいだから仕方ない”で終わらせた瞬間
成長のドアは静かに閉じる
これは現場にいるとどうしても強く思うところだ
例えば、テスト前だけ急にやる気になる子がいる
勢いよくスタートするけれど
三日目には失速してしまう
「本気」の熱自体はあるのに
その熱を支える土台が育っていない
近道を探すクセが
無意識のうちに身についてしまっている
これが今の時代の“見える弱さ”だと思う
だからこそだ
この時代の中で
本気を継続できるようになった子は
それだけで立派な“成功者”になる
周りが続けられない環境だからこそ
続けられる子の価値は跳ね上がる
本気を保つ時間そのものが
他者との差になる
結局のところ、最後はここに戻ってくる
社会がどうであれ
努力しない理由の正当化にはならない
やりづらさはある
誘惑も多い
環境的ハンデもある
でも、“だからできません”は暴論だと思う
むしろ、この社会で我慢を選べること
本気を延長できること
その一点だけで十分なアドバンテージになる
努力がしにくい時代だからこそ
努力する子が勝つ
その単純で揺るがない構造は
いまも確かにそこにある