個太郎塾ふじみ野教室 -埼玉県富士見市-

勉強大好き変わり者の塾長です。変人と呼ばれることもしばしば・・・ブログを読むとわかります笑

なぜ「自分のためなのに」動けなくなるのか ── 教育の現場で感じる“経験の薄さ”という根の問題

不思議に思う

どう考えても“自分のため”のことなのに

なぜ人は動けなくなるのだろう

 

努力を求められているわけでもない

誰かに尽くす必要もない

ただ今日の行動が未来の自分を守るだけ

それでも足が止まる

 

「やった方がいいよ」と伝えるのも

その人の人生にとって必要だからであって

こちらの都合ではない


それなのに“やらなきゃいけないこと”として受け取られ

やらなかった後に謝られることがある

 

「すみません…」


いや、謝る相手を間違えている

困るのは私ではなく、未来のその人自身だ


だから本当はこう言いたい

 

「謝るなら、未来の自分に謝ってほしい」

 

やらなかった日

選ばなかった選択

積み上げられたはずの時間

それを背負うのは“これからの自分”だ

未来の自分を大切にできないのは、どこかもったいない


動けない人は昔からいた

しかし、教育の現場にいると

ここ数年で“明らかに増えた”と感じざるをえない

 

生活環境の変化も影響しているのだろう

時間の使い方、人との関わり方、学び方

そのどれもが昔とは違い

経験の積み重ねがしにくい構造になっている気がする

 

行動と結果の“経験値”の不足

 

成功した手応え

失敗の悔しさ

そこから立ち直る過程

その小さな積み重ねが薄いまま育ってきた子が多い

 

行動と結果が結びつかない

今日の選択が未来に影響する実感が弱い

やらなかった痛みを知らないから

危機感も生まれない

未来がリアルに描けないままでは

今を変えるのは難しい

これは怠けでも甘えでもなく

“経験が不足している構造的な問題”だと感じている

 

やれば変わるという実感

やらなくて後悔した記憶

自分が動いたことで未来が動いたという手触り

こうした経験が少ないまま時間だけが流れると

未来を“自分ごと”として捉えにくくなる

 

人はもともと「未来の自分」をリアルに想像するのが得意ではない

未来がぼんやりしていれば

今の行動に意味を見いだすのは難しい

 

そこに、経験不足という時代の構造が重なる

“やらなかった結果”を十分に体験していなければ危機感は育たない


誰かがレールを敷いてくれる環境に慣れてしまえば

自分で選ぶ感覚も育たない

 

そうした背景が積み重なると

わがことなのに動けない、という状況が生まれてしまう

 

だからこそ伝えたいのは

押しつけではなく“未来の自分を守るという視点”

 

未来の自分への責任は重く聞こえるが

実は一番優しい考え方だと思う

いまの行動は、結局は未来の自分に向かっていくものだから

 

だから動いてほしい

誰のためでもなく、その人自身のために

未来の自分に優しさを