成人おめでとう
手の指、足の指、すべてを使って数えられるのが二十
指を使い切ったその年だからこそ、二十歳は「はた(果た)ち」
数えきった、という感覚が名前に残っている
ここがまず、面白い
二十歳は「にじゅう」でも成立する
それなのに、特別な呼び方が残っている
そこには、単なる年齢以上の意味が込められている
果たした、という言葉は終わりを連想させる
でも実際は、その逆だ
子どもとしての役割を果たし終えた、という区切り
だからこそ、ここからが始まりになる
成人式が「ハレの日」と呼ばれるのも、同じ文脈だろうか
ハレは、非日常
特別で、区切りで、社会に見せる顔の日
一方で、ケという言葉がある
こちらは日常
繰り返される生活であり、普段着の時間
ハレは年に何度も訪れない
成人式も、卒業式も、結婚式もそう
でも、それだけでは人生は進まない
大切なのは、ハレとケの往復だと思っている
ハレの日に立ち止まり、意味を確認する
そしてケの日に戻り、淡々と積み重ねていく
成人式はハレの日だ
でも、本当の意味はその先にある
ケの日をどう生きるか
そこに、大人としての時間が流れ始める
果たした、その先へ
静かに、でも確かに、今日からが始まりだ