個太郎塾ふじみ野教室 -埼玉県富士見市-

勉強大好き変わり者の塾長です。変人と呼ばれることもしばしば・・・ブログを読むとわかります笑

ふじみ野教室の塾長ってどんな人?

福島県いわき市小名浜生まれ

海の近くにも関わらずシーフード嫌い

 

幼稚園はキリスト系

卒園と同時に親の転勤で群馬県へ

当時の夢は「絵かきさん」

その後も転勤が続き、小学校は全部で3校

小1から小5終わり

小6から小6夏

小6秋から卒業まで

たしかこんなスケジュール 

 

【目次】

 

《中学・高校時代》

私立受験という考え方がなかった時代?

普通に地元の中学に進学

このあたりから英語に興味を持ち始め

高校は「英語科」がある学校へ進学

 

学生時代

親から「勉強しなさい」と言われた記憶はなかったものの

我が家には今考えると恐ろしい規則が。。。

 

① テストで80点以下はご飯抜き

平均が高い、低いは関係なし

空のお皿だけ並べられ着席の義務はあった

 

② 勉強しないと全てゴミ箱へ

いらないならと本気で捨てられる

ひどいときはゴミ袋に入れられ

ゴミ捨て場においてあったことも

 

③ 受験は1校のみ

行くのは1つだからという理由。。。

 

④ 塾は禁止

なんのために学校にいっているんだと

塾の許可は下りず

 

などなど厳しいルールのもとで生活をしてきたためか

自然と「勉強をする」という習慣が身についていたかと

 

《高校卒業後、渡米》

高校卒業後

親のすすめもあり語学留学でアメリカへ

というより手続きは自分の知らないところで進んでいた(´)

 

渡米を知ったのは出発の1週間前

当然心の整理もつかないままアメリカへ・・・

 

税関でサングラスを外せと言われるも

英語がわからず

I’m fine thank you

と答える(´Д)

 

自分の英語の出来なさを痛感。。。

なぜか黒人のスタッフに呼び出され怒られる

どうやら書類が足りなかったらしい・・・

 

数十分後やっと空港外へ

まさかのリムジンによるお出迎え

そのまま寮へ

 

自分がどこの学校に行くかもよくわからず

着いてすぐ学校の位置確認

 

翌日学校初日

結局場所がいまいちわからず

寮近くを歩いていたおばあさんに教えてもらったバスに乗車

 

運転手が途中、食事休憩でマックに行ってしまい

パニック

当然、学校には遅刻

 

中高と6年間も英語を学んできたにも関わらず

現地で通用しない自分の英語力にショックをうけ

毎日必死に勉強をする

 

舌が痙攣するまで

鏡の前で発音練習をしたことも

 

半年間後、無事学校を卒業

あえて大学には進学せず帰国

というより帰って来いと

言われていたような記憶が・・・

 

《帰国後》

夜中の12時

無事自宅に到着

お土産話しをすることなくすぐに就寝

翌日朝5時起き

まさかの免許合宿(´Д)

2週間拘束・・・

 

自分の英語力に納得がいかず

さらなる向上のためにと

今度は自分の意思で再度留学を決意

 

《オーストラリアへ》

2カ国目

オーストラリアへ

 

アメリカで学んだ英語力を試そうと

最初のホテル3日間のみ予約し

それ以外の事前の手続きは一切せず渡豪

お金も最低限のみ

 

現地到着後すぐに宿探し+職探し

職(飲食店)は運良くすぐに見つかる

というより見つからないと生きていけなかったので・・・(´Д;)

 

宿は何件も回り

長期間住むことを条件に値段交渉

わずか1畳ほどの安宿に決定

ドア開けて、目の前ベッド

終わり

そんな部屋(´Д)

 

お金がないため

ほぼ毎日仕事・仕事・仕事

 

滞在中観光はほぼなし仕事で貯めたお金で

帰国直前に英語教師養成学校へ通う

 

《2度目の帰国》

帰国後、留学経験を活かし

地元で英語塾を開校

といってもそれほど大げさなものではなく

近所の子たちに教える程度

塾名はあまりに恥ずかしいので内緒

いや、マジで、本当に。。。

 

かなりの田舎で子供もそれほどおらず

英語だけではやはり難しいと

半年くらいでたたむことに

 

その後、英語とは全く関係のない

同じく地元企業に就職

営業職につく

 

《人生の転機》

この時点で塾長21歳

ここで人生の転機が訪れる

 

周りから早い、早いと言われるも

結婚をすることを決意

確かに早い・・・

 

《個人的就職氷河期》

1年半だったか?

2年弱だったか

記憶は曖昧だが、ここで営業職を辞める

 

やはり英語を使った仕事をしたい

その思いで職探しスタート

 

求人雑誌を買う

スピード写真を取りに行く

ひたすら履歴書を書く

ひたすら職務経歴書をかく

毎日こんな生活

 

英語を使うことにこだわり続けたせいで

仕事が決まるまで3ヶ月もかかる

個人的就職氷河期( ;∀;)

50社近く面接に落ちている・・・

 

そんなつらい日々を過ごしながらも

ようやく仕事が決まる

「留学斡旋業」の仕事に就くことに

 

忘れもしない

仕事が決まったあの日

池袋西口の交差点で涙を流したことを・・・

 

ずっと書き続けてきた職務経歴書のタイトルが

「職務経歴者」になっていたことを

社長から知らされる・・・(_;)

 

5年程働いたのち

とある知り合いから「塾で働かないか」と声がかかり

2008年11月

個太郎塾与野教室の教室長として働き始める

 

約4年間働いた後、現ふじみ野教室へ移動

この移動で生徒・保護者に迷惑をかけてしまったという

その申し訳なさから

二度と移動がないようにと独立を決意

 

2016年4月

個人事業主として無事独立

しかし支払う税金の多さに衝撃を受け

法人になることを決意

 

2017年12月

株式会社設立

生徒みんなに向上心を持ってもらいたい

その想いから

株式会社アスピレーションと命名

晴れて法人となり

現在に至る・・・

 

ちなみにこの会社名は

20歳のときに考えていたもの

 

《趣味がやばい》

趣味は勉強

この時点でだいぶやばい・・・と言われる

 

特に英語(英文法)が大好きで

所持している参考書は30冊ほど

 

目覚まし代わりに英単語のCDを使う

朝起きてすぐ映像授業を見る

このあたりからも異常な勉強好きがみてとれる

ヘビースモーカーの勉強版だと自分では思っている

 

勉強面においてのボランティア精神が強く

困っている人を見るとつい助けてしまう

近所の子に勉強を教えたり

本屋で参考書選びに悩んでいた生徒を救った?こともある

 

本人は勉強好きが病気レベルであることを

ちゃんと自覚しているのでご安心を(笑)

 

《終わりに・・・》

ここまで読んでいただきありがとうございました

約2500字

自分のことを知ってもらおうと

なるべく細かく書きました

(正直まだまだ書き足りないくらいです)

 

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