個太郎塾ふじみ野教室 -埼玉県富士見市-

勉強大好き変わり者の塾長です。変人と呼ばれることもしばしば・・・ブログを読むとわかります笑

【切り取られる事実】― 私たちはいつも“編集”しながら話している ―

どこまでが「事実」で

どこからが「主観」なのか

 

日常の言葉の中に

その境界は曖昧に溶けこんでいます

 

「事実を伝えただけ」

そう言う人ほど、実は多くの“色”をのせています

 

言葉にするとき

そこにはすでに

伝達者の「解釈」と「選択」が入りこんでいるのです

 

たとえば

「太郎は会議に20分遅刻した」

これが“事実”

 

一方で

「太郎はまた遅刻した。だらしない人だ」

ここには明確な“価値観”が含まれています

 

同じ出来事を伝えていても

伝え方で、印象はまったく変わる

 

人は情報をそのまま伝えることができません

意識的に、あるいは無意識のうちに

「何を伝えるか」「何を省くか」を選んでいるのです

 

自分に都合の悪い部分は、いつの間にか切り取られ

感情に訴えた出来事ほど、強く記憶に残る

逆に、都合の悪い記憶は薄れていきます

 

私たちは常に「編集」をしながら話をしているんですよね

 

だからこそ

元のデータと出来上がったデータの間には

大きな飛躍が生まれるのです

 

言葉は「事実の運び手」であると同時に

価値観の鏡でもある

「どんな事実を」「どんな解釈で」伝えるのか

そこに人の本音がにじむ


“事実を語る”ことは

“自分を語る”ことなのかもしれません